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Posted by 渡瀬側治 at --/--/-- --:-- | Top▲

8月24日の誕生花は「きんせんか(Calendula)」で花ことばは「献身(Devotion)」。


太陽の神に恋をしてしまった少年がいました。小さいときから、空を見つめるのが好きでした。輝くばかりの光を見ると踊りだしたくなり、夜になると、悲しく沈んでしまうのです。太陽の神も、彼を愛し始めたとき、雲の神が嫉妬しました。太陽の神を8日間も、雲の中に閉じ込めてしまったのです。少年は寂しさに耐え切れずに、死んでしまいました。太陽は少年を悼み、二人の愛の記念として、死体を「きんせんか」に変えたのだという話があります。
きんせんかが、いつも太陽に向かって美しく咲くのは、太陽との変わらぬ愛の証なのだそうです。



きんせんかは、キク科でヨーロッパが原産。英名「Calendula」は「暦」の意味。





誕生花は「きんせんか(Calendula)」で花ことばは「献身(Devotion)」。そんな

【8月24日生まれの花占いは?】



出会いがあるから、別れがあるのです。それはごく自然で誰もが経験する事でしょう。しかし、例えば恋の別れ、友との別れ、家族との別れ、一時的な別れ、永遠に会えない別れ。あなたにとって、それぞれの別れのたびに、他の人よりも感情移入しやすく激しく嘆き悲しむという側面を持っているため、非常に苦しむかもしれません。しかし、別れがあってこそ、希望も生まれる事をあなたは知っているはず。それは涙をこぼした数だけ、より素晴らしい恋人にめぐりあえる事になるでしょう。それを信じて、前向きにかざらない自分でいることがよい結果を生むでしょう☆





PS



人生の最初から最後までの経験が凝縮され、悟りの境地のような助言でしたね。勉強になりますm(_ _)m





そんな
【8月24日生まれの著名人は誰だろう~# ̄p ̄)】



イタリアの画家のラヴィニア・フォンターナ(1525)。数学者で哲学者で音楽家で作曲家のアレッサンドロ・マルチェッロ(1669)。初代オランダ国王のウィレム1世(1772)。作曲家の滝廉太郎(1879)。陶芸家で随筆家の河井寛次郎(1890)。ベルギーの生物学者でノーベル生理学・医学賞者のアルベルト・クラウデ(1899)。朝日新聞社社長で日本学生野球協会会長で全日本アマチュア野球連盟会長だった広岡知男(1907)。女流のSF作家のジェイムズ・ティプトリー・Jr(1915)。映画監督の加藤泰(1916)。第80代内閣総理大臣の羽田孜(1935)。韓国を代表するファッションデザイナーの1人で김혜수が着たアレが中々。。。なアンドレ・キム(1935)。アニメーション監督でアニメーターでアートランド代表の石黒昇(1938)。プロレス団体WWEの代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)のビンス・マクマホン(1945)。女優の久野綾希子(1949)。映画監督の根岸吉太郎(1950)。漫画家の風間宏子(1951)。歌手のMoJo(1952)。映画監督でイラストレーターでキャラクターデザイナーの雨宮慶太(1959)。映画監督の三池崇史(1960)。タレントの岡田美里(1961)。ゲームデザイナーでコナミデジタルエンタテインメント専務執行役員クリエイティブオフィサーで開発チーム小島プロダクション監督の小島秀夫(1963)。漫画家の真船一雄(1964)。バイオリニストの高嶋ちさ子(1968)。プロレスラーの船木勝一(1968)。漫画家の福島聡(1969)。総合格闘家のダン・ヘンダーソン(1970)。俳優の片桐順一郎(1970)。台湾の歌手の蕭亞軒(エルヴァ・シャオ)(1979)。歌手のキタキマユ(1982)。グラビアアイドルの佐々木梨絵(1983)。ファッションモデルの大森美知(1985)。名古屋テレビアナウンサーの井上裕衣(1986)。歌手の柏木亜季子(1990)。子役?。。。レースクイーンの宮本綾子(1991)。女優でアイドルの松下美保(1991)。ジャニーズJr.で俳優の浅香航大(1992)。AKB48の瓜屋茜(1992)。子役の月嶋ルナ(1995)。








Elva Hsiao- Honey Honey Honey(正直表情がいいっ)








PS2



今日2010年8月24日亡くなられた偉大な漫画家でありアニメ監督であった「今 敏様へ」。

ご冥福をお祈り申し上げます;;;TT)ああくそ!僕の誕生日に。。。はぁー。。。知らなかった、くそぉ!!!いや失礼。。。


今 敏(こん さとし、1963年10月12日 - 2010年8月24日)は、日本のアニメ監督、漫画家。北海道釧路市出身。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業。『妄想代理人』では鰐淵良宏名義も用いている。ギタリスト・スタジオミュージシャンの今剛は実兄である。


【経歴】:


<<デビュー前>>

1963年10月12日、釧路で生まれる。父の転勤により、小学4年生の時から中学2年生まで札幌で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌での同級生であり、親しい友人でもあった。北海道釧路湖陵高等学校時代にアニメーターを志す。彼は、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)、『アルプスの少女ハイジ』(1974年)、『未来少年コナン』(1978年)、『機動戦士ガンダム』(1979年)といった作品を好んでいた 。彼は、また漫画も好きでファンであった大友克洋の童夢などをよく読んでいた。また、筒井康隆の短編に影響を受けた漫画を描いている。1982年高校卒業後、武蔵野美術大学に進み、グラフィックを学ぶ。そのとき、外国映画をたくさん観たり、筒井康隆の作品を熱心に読んでいた。


<<キャリア初期>>

大学在学中に、『週刊ヤングマガジン』(講談社)にて『虜 -とりこ-』(1984年)で第10回ちばてつや賞(ヤング部門)優秀新人賞を受賞[7]し、漫画家としてデビュー。それをきっかけに、大友克洋のアシスタントとして働くことになった。1987年に大学を卒業した後、講談社より『海帰線』(1990年)、『ワールドアパートメントホラー』(大友克洋による映画を漫画化したもの)などを発表。1991年、『老人Z』で、美術設定・レイアウト・原画で初めてアニメ製作に関わる。押井守が監督を務める『機動警察パトレイバー 2 the Movie』など、数々のアニメ作品の製作にも携わった。その後、漫画作品は『セラフィム ~2億6661万3336の翼~』を最後に、アニメの製作に専念することになる。そして1995年、彼は大友克洋監修のオムニバス作品『MEMORIES/彼女の想いで』に脚本・美術設定・レイアウトで携わった。この作品で彼は、後の作品でテーマとなっているイマジネーションと現実の融合の概念を取り入れたのである。


<<監督として>>

1993年、『ジョジョの奇妙な冒険』で原画、シナリオ、演出、構成などを手がける。そして1997年に、竹内義和原作の『PERFECT BLUE』で初の監督を務める。これは、アイドルを巡るサスペンスを描いた物語で、マッドハウスとの初の共同制作となった。製作段階で、彼は原作のシナリオに満足せず、面白いと思える内容に翻案した。これは、「アイドル」・「ホラー」・「ストーカー」の3要素を織り交ぜる、といったものだった。脚本家村井さだゆきの協力もあってシナリオが書き換えられ、『彼女の思いで』で描かれたイマジネーションと現実の融合を色濃くするものとなった。『PERFECT BLUE』の後、彼は以前からの熱烈なファンであった筒井の『パプリカ』(1993年)を映画化したいと考えていた。しかし、『PERFECT BLUE』の配給会社(レックスエンタテイメント)が倒産し、これは頓挫することになった]。それと同時に彼は、イマジネーションと現実の融合をテーマにした新たな作品に取り掛かろうとしていた。2002年に公開された『千年女優』である。これは、絶頂期に突然不可解な引退を告げた大女優についての話である。『PERFECT BLUE』と同じくらいの低予算で製作されたが(概算で1億2,000万円くらい)、前作よりも更に大成功を収め、多くの賞に輝いた。この作品もまた、村井さだゆきとの共同脚本であり、トロンプ・ルイユや時間感覚の喪失の概念なども織り交ぜられた。なお、長年のファンであった平沢進と初めてコンビを組んだのがこの作品である。2003年、3作目の作品『東京ゴッドファーザーズ』を発表する。3人のホームレスがクリスマスイブの東京で、捨てられていた赤ん坊を発見し、親を探す…という物語である。前作よりも更に制作費がかけられ(概算で3億円)、ホームレスや捨て子といった社会的なテーマをコメディタッチで描いた。この作品は信本敬子との共同脚本であった。2004年、初のTVシリーズとなる『妄想代理人』を製作する(全13話)。この作品では、再びイマジネーションと現実の融合をテーマにし、また数々の社会的なテーマも取り入れた。本シリーズには、彼が日頃から温めていた、映画では吸収できなかったアイデアが再表現されている。2006年、『パプリカ』を発表する。数年来の構想が実現した。これは、患者を治療するために彼らの夢を分析するサイコ・セラピストの話である。この作品も成功を収め、様々な映画祭で賞に輝いた。今は、この作品でも単に物語の要約に飽き足らず独自の解釈を加え、「基本的なストーリー以外は全て変えた」。彼はここでも、イマジネーションと現実の融合を表現したが、ここではとりわけ夢に重点を置き、現実と夢との相乗作用を表現した。『パプリカ』の後、押井守や新海誠とともに、2007年放映のNHK製作「アニクリ15」に携わる。ここで1分間の短編作品『オハヨウ』を発表した。同年、日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の設立に参与する。


<<晩年>>

『オハヨウ』の発表後、次回作として『夢みる機械』の制作に着手したが、2010年に体調を崩し、5月に病院で診断を受けたところ末期の膵臓癌と診断される。余命半年と宣告された今は、身の回りの整理をしながら亡くなる前日までブログを更新するなどしていた(但し、生存中は自分が病気であることは伏せている)。2010年8月24日逝去。没時46歳。翌日付のブログに、「さようなら」というタイトルでファンに向けてのメッセージを残している。死後、アニマックスとファミリー劇場が追悼の意味を込めて、今敏が制作に携わった作品を放送した。


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Posted by 渡瀬側治 at 2010/08/24 07:12 | Top▲
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